●荒川水系渓流保存会会報 第1号 編集責任 黒沢和義 会長挨拶 本会は、今年で10年目となります。この間、前半は主に採卵・養殖技術の習得と池の改修工事が活動の中心となり、池に行かなければならないことも多く、たいへんな時期でした。それにくらべると、ここ数年は設備も充実し、安定期と言えます。今後さらに進めていきたいこととして、次の3点があります。 1,会員への技術指導 採卵・受精の折には多くの会員の方に参加してもらっていることをありがたく思っています。ですが、ふだんの世話は数名で行っているのが現状です。興味のある方には、この全過程の世話の仕方を覚えてもらい、日常の世話にも参加して戴きたいと考えています。 2,チチブイワナの養殖 夏場の水温・水量によりヤマメが死んでしまう問題はありますが、現在、飼育面での問題はほとんどなくなっています。また、秩父漁業組合でもヤマメの飼育に取り組むようになりました。そこで本会では、イワナの養殖に取り組みたいと考えます。2面の池を活用しヤマメといっしょにどう飼育するか、工夫して進めていきたいと思います。 3,環境保全活動の取り組み 「河川の保護活動」 これが本会の目的でもあります。ですが、飼育・放流活動が中心となり、なかなかこのことまで手がまわっていませんでした。生川でも、むだな堰堤ができ、すでに土砂で埋まってしまっているものもあります。秩父の環境保全活動を行っていくことも重要なことと考えています。 新会員の方等の新しい力も結集し、会の活動を進めていきたいと考えています。 よろしくお願いします。 荒川水系渓流保存会 会長 須崎武男
養魚池のある生川(うぶかわ)一帯は、桜が満開。 池のわきを、武甲山に登るハイカーが、ひきも切らず登っていく。 足元でニリンソウの群生が一斉に開花し、トウを立てたワサビも咲き始めていた。 三々五々集まってきた10数名のみなさんが、手分けをして、それぞれ今日の仕事に取りかかった。 副会長の新井さんたちは、雪と老朽化で傷んだ導水パイプ受けを新しい鉄パイプで補修する仕事。プロがいるのでとてもしっかりした仕事ができた。 養魚池では、会長の須崎さんの指示で、昨年抱卵しなかったヤマメを全部すくって、選別する作業。大きすぎるもの、小さすぎるもの、口に傷のあるものを探して、別の生けすに移し替える。 大きすぎるのは、仲間を食べてしまうため。 小さすぎるのは、発育不良のため。 口に傷のあるのは、病気にかかりやすいため。 これらのヤマメは、今日のうちに放流してしまう。 一番でかいやつは、尺オーバー。 これを釣った人は、たまげるだろうな。 手の空いている人は、稚魚池の掃除と水張り。 ブロックを積んで区画を分ける。 子どもは声援だけ。 生けすを稚魚池に移し、養魚池の掃除。 水を干して、たまったヘドロを洗い流す。 どう見ても、サカナにとっで快適な環境とは言い難いが、見ちがえるほどきれいになった。配線関係や池にかぶせる綱も補修しなければならない。この会では、流用品や貰いもので資材を調達しているのだ。 水槽では、3センチ足らずにまで成長した稚魚が泳いでいた。パイプ受けの補修を終えた新井さんが計量すると、約20尾で50グラム。1尾の重さが約0.6グラムほどだ。 計量の際に水から上げるので、水槽に戻すと、失神したまま腹を上にして動かないので、やや心配。しかし、エサを絶ってある稚魚は、まもなく正気に戻って、元気にまた泳ぎ出す。池での作業が一段落すると、放流予定場所を事務局長の笠原さんに申告し、持参したオトリカンに稚魚を入れてもらって、これまた三々五々散っていった。 養魚場をあとにすると、気温はあまり上がらないとはいえ、車の中は暑いので、気が気でない。安谷川に着いても、稚魚たちが元気だったので、ほっとした。 放流地点を探して歩いていると、餌釣りの釣り人に出会ったが、話しかけようとしたらそっぼを向かれた。今日は何ごとか話をしたい気分なのに、残念。 10尾くらいずつ、数十ケ所に分けて放流した。今まで、ほとんど流れのないところで、エサをもらって暮らしていた稚魚たちに、雪シロ混じりの激流はきつそうだが、それでも懸命に泳ぎながら、楽なところを求めていた。 保育園を卒業してすぐ社会に出るようなものだが、したたかでスキのない、安谷ヤマメに育ってもらいたいものだ。 水の入ったオトリカンを持ち歩いたため、腕が棒のようになってしまった。沢を下りながらあたりを見回すと、ハナネコノメ、ニリンソウ、カタクリ、マムシグサなどの花が、春の訪れを謳歌していた。 道ばたにはヤマブキ、岩場ではミツバツツジが咲き始め、今年の渓流釣りシーズンの到来を告げていた。 さあ、釣りに行こう。 (吉瀬 総 記す)
5月1日(金)朝8時半。埼玉県水産試験場熊谷支場の支場長鈴木栄さんは我々を笑顔で迎えてくれた。昨年来、秩父岩魚について問い合わせをしたりお願いをしてきたりしていたが、今日やっと念願の秩父岩魚を見ることが出来るのだ。 応接で鈴木支場長と語らう。いろいろな話が出て盛り上がる。 秩父岩魚はだいぶ以前から採捕されていたが、正式に予算がついて飼育され始めたのは昭和57年からの事だそうだ。採捕場所は中津川のガク沢、入川の奥、滝沢などで採捕されたとのこと。1カ所で特定して採浦したものでは無いようである。 岩魚に多い病気の話が出た。せっそ病という病気があり岩魚はこれにかかりやすいのだ。 水温が10度を超えると発病することが多いので、当保存会で飼育する際、水温チェックも重要な作業になる。病気で全滅などという事態は何としても避けたいものだ。
親魚の飼育池を見せてもらう。池は大量の地下水を循環させる形で作られており、ヤマメ、岩魚が雄、雌、大きさ別(何年生で分けてあるのか?)などに細かく分けて飼育されていた。 40〜50センチはあろうか?という岩魚が人影に敏感に反応してビュンビュン泳ぎ回るのは豪快である。丸々と太り、ヒレがポロポロになった巨大な岩魚は我々が釣りでお目に掛かる岩魚達とはまったくの別物だが、これがまぎれもなく秩父岩魚の親魚なのである。 水産試験場には見学用の水槽があり、そこには岩魚・ヤマメ・ニジマス・かじか・ムサシトミヨのそれぞれの水槽があり、観察出来るようになっている。秩父岩魚を水槽で見ると山で見る岩魚よりもずいぶん色が薄い。多分これは水槽という環境のせいだと思う。 そして、いろいろ論争があったが、この秩父岩魚はまぎれもないニツコウイワナだった。
稚魚は今、奥の水槽2基に1000尾ずつ入れられている。4センチ程の魚体だが、そんなに小さくてもヒレが赤い。これから4年かけて立派な秩父岩魚に育って欲しいものだ。 黒沢和義 記
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